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黄金聖闘士二次創作とたまにたわごと。ほとんど腐。羊師弟と兄さん's傾向。最近メモ化。お気軽にお声掛け頂けたら嬉しいです。

情敵:2〔貴鬼 ムウ シオン〕

 ここ最近、貴鬼には腑に落ちない事がある。

 それは今に始まったことではなくて、ただ己が幼かったが故に心に引っかかりつつも考えがそこまで及ばなかっただけなのだと今の貴鬼は知っている。

 ここは白羊宮。女神アテナの88の聖闘士の上位である黄道12宮のひとつ、牡羊座の星を持つ者、更には女神の御技を手にする者が集う宮である。そう、何時からか「住まう」ではなく「集う」になっていると貴鬼は視線をぐるりと見渡して思う。見えるのは己の師と、その師と呼ばれる人。その風景に「解せぬ」と貴鬼は声にはせずに呟いた。いや別に、200年以上前にはここの主であったとは言え今は88の女神の聖闘士の頂点に君臨する人が、こうも気軽に己が前の住処に下りてきても良いものなのだろうかといった事が解せぬわけではないし、慣例か偶然か貴鬼の知る限り白羊宮の主は額に徴を持つ者が続いているところからして、わが一族と深い縁の宮ではある様なので、一族の上方であり今や長と呼んでも差し支えの無いような立場の人を迎え入れる事に貴鬼に否やがある訳でも無い。客人が客人らしからぬ程偉そうにしている事だって、まあ今更である。

 さて、小僧がそんな事を考えていようといまいと我関せずと、幾重に巻き重ねた厚めの織物をいくつも並べた長椅子に心地良さそうに休んでいる人の濡れた髪を、本日も当然の様に拭いている人がいる。丁寧に髪を布に取りさらさらと優しい音を立てながら乾いたところから器用に形を整えて「ふむ、こんなところか」と言いたげに首を傾げるこの人は当代白羊宮の主にして、聖闘士としても修復師としても小僧の師匠であった。

 前に一度「弟子はそこまで師に忠孝を尽くさねばならぬか」と己の師とその師に問うたところ「するに及ばず」との返答を貰ったのだと貴鬼は当時を思いだした。師の師には「幼い頃の興味があった事を今しているのだろう」の様な解説も頂いている。その際には「思念の暴発でジャミールに崖をひとつ作った話」「柱の鳥の巣が気になって登ったはいいが下りられなくて大泣きした話」等、幼い我が師の話も聞けて楽しかったものだ。

「泣くなと言えば泣いてはおらぬと、大きな目を瞬かせて言い張ったもの」

 そう言った師の師はまるで目の前にそれがあるかの様に目を細め、笑んだ様子が驚く程に優しかった。甦り18の身を取り戻したというこの人はしかし、表情の端々に長く紡いだ年月を見せるのだった。

 そんな事をつらつらと思い出しながら手頃な鉱物を手持ち無沙汰に宙に放っては受け止める貴鬼はやはり「解せぬ」と思っている。これはあれから暫く経って、そろそろ貴鬼に聖衣をといった話も出始めた頃の話である。