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黄金聖闘士二次創作とたまにたわごと。ほとんど腐。羊師弟と兄さん's傾向。最近メモ化。お気軽にお声掛け頂けたら嬉しいです。

色々ありすぎると

書けなくなるものですよね。書きたいんだけど書こうとすると書けないみたいな。勿論日々戦いではあるのですがかなり状況が変わりました。

労基ってすごいですね。

色々、言い逃れの出来ない証拠なんかも持ち込んだ退職者がいた模様。ブラックが改善するならいいと思う。業務改善が聞き入れられない顧客の仕事はお断りする事もこれからしていく、との事。すげえほんと。

ちなみに私自身はどうにも労働組合ってものが好きではなく、思えば幼少の頃に父親が見ていた政治番組を見ていて「なんでこのひとたちはもんくばかりいってるの?」って聞いた事があるんですが「仕事だから」って返されました。もんくいうのがしごとなんてやだな、と思っていた記憶。そういえばやはり子供の頃、舘ひろしさんと所ジョージさんの区別がついてなかった頃に「どうしてこのひとはさっきまでふざけてたのにいままじめなの?」って聞いたんですが、やはり「仕事だから」って返されました。すごい雑だな親の返答。

 

もうひとつ、最近とある企画会議で雑談タイムに出た話で「制服のスラックスかスカートを男女共に選べる」って話がでまして、ちょっと思い出した事があります。

小さい頃一人称が「ぼく」で、お人形、ぬいぐるみに興味を示さずミニカー欲しがってた子供だったんですよね。「男の子でしょう?」って聞くと「女の子よ」って返答が来るのが正直疑問だった幼少の頃。だんだんわかってきて「なんで男に生まれなかったんだ」って親に聞いたんですけど「あーまーそういう風に思う年代もあるよねー」「でもまあ大人になったらまた変わるよ」ってすっごいゆるーく返答されたんですよね。ほんと雑だな。でも、人にもよるでしょうが、私はこれでよかった気がしています。これが私の性自認の原風景です。ところで性指向はどちらかというと男性に向いているのが不思議な話。補足ですけど年食うとほんとどうでも良くなりましたね。度合いによるんだと思うんですが。

で、戻るんですけど、例の制服の話、「当事者は嬉しいのか?」と思ったわけです。なんだか当事者じゃない人たちが、こんなもんかな、で進めてるような気がするんですよね。選んでスカート着た身体が男子の人が登校してきたとして、その後のケアはどうするの?世の中には明確に「男」とか「女」とか、揺れなくしっかり自覚している人たちもいて、そういった人たちがスカートを着た男子を「奇異」と感じるのもまた当たり前なんです。奇異と感じるな、もまた思想の強要であり暴論だよなと。

生きたい様に生きるしかないわけで、したくない事をする気も無いんだけど、それには責任が伴うし強さが必要だなと思います。親や学校や周囲の大人が、当事者の24時間を守ってくれるわけでもなく、でも生まれて十数年の人間が、どれほどの強さがあるのかな?と。その「強さ」とは、己の感性を歪ませることなく、生きたいように生きていく強さの事です。

やだなーと思いながら気に入らない制服を着る日々とか、あまり興味の無いプレゼントを貰って無理やり喜んでいるとか、そういった時間を過ぎて改めて己の意志を確認する、というプロセスの方がいい気がしています。だってね、己を己で支える事が出来るかわからない思春期に、スカート手渡して、周囲が怯んで遠巻きになって、辛さに耐えられなくなった先の悲劇の責任を、やはり思春期の周囲の所為にする、そこにいい事なさそうだよな…と。何となく、1/5くらい当事者が思ったわけです。

で、話は戻るんですがその会議の場で「それ、当事者は嬉しいんですかね?」とつい口を滑らせてしまったら賛成派も、す…と静かになってしまったという。

 

なーんて会社の動きに関心していた間に政治もぐだぐだしていた模様。

詳しいかと問われたらそうでもないんだけど、例の書き換えなんだか改ざんなんだかのあれ、いろいろ闇が深そうです。

気になるのは変えた前と後とで文脈というか、内容というか趣旨というか文意というか、そういったものが変わったかどうかなんですよ。最近記事を書く仕事も多くなっていて、文字数に制限があるから推敲が重要で、そこで気にするのが趣旨・文意に揺れがないかなんですよね。どうなんでしょうねそこの所。趣旨・文意が変わっていなければ「書き換え」、変わっていれば嘘なわけで「改ざん」って気がしていますが。