相対性ていうか総体性っていうか、そんなものと原理主義と
ちょっと職場で出た話。
自分自身の感情って大事だし価値観価値基準も大事なんで蔑ろにしていいって事じゃないんだけど、でもここ数年、相対性っていうか、そんな目線で物を考えるって事が軽んじられてる気もちょっとしていて、なんていうかね…RTで流れてくる内容とか見てるとそんな気がしています。いうなれば「己の感覚感情が正しいと原理主義のレベルで思い込む」人が多いっていうか。
本当に、今自分が生きている地域、都市、国ってそこまでひどいか?って事なんですけど、私はそうでもないなと思っています。
例えばですけど
いきなり殴りかかってくる人がいない環境に、あーよかったって思う事と、そんなの当たり前じゃんって思う事は両立するんです。
この道が正しい筈、と思って手がけた仕事に横やりが入る環境にうんざりしていても、邪魔が無い環境に、ほんとよかったって思う事もきちんと自分の中に存在しているわけです。
いじめが、殺人が、レイプが無い世の中こそが正しいと思う事と、今までそういった事が身の回りに起きていない事への、環境へのある意味感謝の思いは、相反するものでは無い。
安心するためとか逃避の為に下を見るとは考えません。ただ、360度きちんと見て、上下があるなら両方みて、左右があるならそれも見て、国や都市や地域や自分の立ち位置をなるべく現実に近く認識したいところ。
嫌悪だったり反発だったり、そういった感情もきちんとあって、でもそれをそれなりに割引いたところでも、きちんと事象を見たうえで、そこに自分の感情をどこまで許すか、そんな事だと思います。
相手の言い分はあって、成程そう思う事もあり、相手にだって手放せないものもあり、だけどそれ、私は与しません。
そう「与しない」と断じ切るところにある、何かの、例えば誰かの価値観への駄目だしというか、拒否の、そのリスクとかデメリットとか勿論メリットとか、そういうのの存在を知らない事こそがナンセンスに思います。
ほんとに生きにくいか?と思うわけです。
街角でそんな事を問われたら
私は多分「充分普通に生きてます」と答えます。