海峡〔サガ カノン〕
海を見に行かないかと誘ったのは兄の方だった。
月の無い夜空は星が犇めき合っていて、ぽつぽつとまるで穴でも開いているかのようだ。聖域の常夜の灯りが途切れた場所は暗い闇。兄と2人徒然に歩きながら、例えば「女神のおわす辺りでは秋の夜長とそう呼ぶのだ」等と他愛の無い知識を披露しながら、目を凝らしその中を行った。
この道はおそらく誰も知らない。神殿の奥に閉じるように過ごす幼子が見つけ、1日の終わりの一刻だけ会う兄にそっと告白をした。「うみがある」と言った弟に兄が言う。「カノン、行ってはいけない」と。思えば当の本人より兄の方が信じていた。聖域が言う「魔に魅入られてはならぬ、双子座の下は女神の加護濃いこの場所より出てはならぬのだ」という言葉を。
その兄が海を見にいこうと言うのだ。おれすら思い出すまで忘れていたあの道を「行こう」とこの兄が言う。俺は数瞬の間の後「海だぞ?」と我ながら間抜けな声で呟いていた。
「あれから海等。嫌っていたものを。何故」
言外におれが数年を海に囚われていた事を匂わせながら、出掛けには聞けなかった事を道すがらに問うと、先を行く兄は振り向かないまま「もういいだろうと思ってな」と小さく笑んだ様だった。
「もういいか」
「ああ。もういいだろう」
「海だぞ?」
「ああ。海だ」
ほら、漁火だと兄が指差す先は海。水平線は暗く夜空と海をかろうじて分けるのは船の灯りだ。星との違いはゆらゆらと揺れている事だろう。此処から見る海は人の営みがある海だった。